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リアルオプションと企業経営
山口 浩 著

A5判 336 頁
\5,040


本書は、企業経営におけるリアルオプション理論の活用を中心に解説している。金融のオプション評価理論を応用して、実物資産ないしプロジェクトの価値評価や不確実性下での企業の意思決定問題を分析するリアルオプション理論は、企業実務者の間でもアカデミックな世界においても、近年急速に注目が高まってきた。
欧米の企業の中には、リアルオプション分析を利用して、事業上の重要な戦略的意思決定を行っているものが多く存在する。
たとえば、ある電力会社では、発電所建設の意思決定に際し、収益の不確実性を適確に反映するため、リアルオプション分析を利用している。またある製薬会社では、研究開発から発売までのプロセスをリアルオプションの連鎖ととらえ、それぞれの段階を実施すべき最適なタイミングをはかっている。
これまで意思決定基準として広く使われてきた正味現在価値法を拡張し、見過ごされてきた戦略的意思決定の価値を適切に評価することが、よりよい企業経営にとって欠くべからざるものと考えられるようになってきたのである。


分析のフォーカス

リアルオプション分析の主な関心は、大きく分けて、柔軟性を内包する資産、プロジェクト、契約等の価値評価と、それに基づく戦略分析の2点にあるということができる。
このうち、これまでに日本で発表された文献等では、どちらかというと前者の価値評価のほうにウェイトが置かれたものが多かったように思われる。すなわち、不確実性下で将来の柔軟性を含んだ資産(プロジェクト)はそうでない資産(プロジェクト)に比べて高く評価すべきである、との議論であり、これにより、従来の静学的な正味現在価値分析では採択されなかったであろう資産(プロジェクト)を、その柔軟性の価値ゆえに採択することが最適となる可能性がある、といった含意をもたらす。これは、主に当該資産(プロジェクト)単体としてのオプション的性質に着目したものであり、それ自体問題はない。

しかし、企業がその戦略を策定するにあたっては、自社だけではなく、競争相手などの他者をも分析の視野に入れる必要がある。
リアルオプションが金融オプションと大きくちがう点として、リアルオプションは他者と共有されうる、という点があげられる。競争相手の存在を前提としたとき、企業が持つ経営上の柔軟性の価値は、さまざまな影響を受けることになる。たとえば、ある場合は、将来のリアルオプションを確保するため、今持つリアルオプションを最適でないタイミングで行使することを余儀なくされるという、負の戦略的価値を考慮しなければならないかもしれない。また逆に、新しく生まれた市場などでは、競争相手の早期参入が市場全体のパイを拡大させ、自社もそのメリットを享受しうるような、正の戦略的価値が存在するかもしれない。これらの戦略的価値は、しばしば無視しえないほど大きく、単体としてのリアルオプション価値を上回り、結論を変えてしまうことも珍しくない。

したがって、本書においては、リアルオプション分析における戦略的意思決定問題の側面により大きな力点をおくこととする。すなわち、企業がその有するリアルオプションを利用してどのように経営戦略を構築し、意思決定を下していくか、との視点である。企業経営者は、利益を最大化するため、あるいは将来の成長の芽を育てるために、自らの能力と労力の限りを尽くし、最善の結果を求めて奮闘する。金融オプションであれば、「市場の洗礼」により、収益とリスクに応じた価格が半ば自動的に決まるのであるが、市場のないリアルオプションにおいてこれに代わるものは、こうした経営者の努力しかないのである。経営資源の制約条件下で最適な結果を求めるプロセスそのものが企業経営なのであるから、企業経営の一つの解としてのリアルオプションは、企業自身の最大化問題として解かれなければならない。

このように、企業内部における意思決定問題を主眼に据えたとき、通常のオプション評価理論の中で中心的な位置を占めているリスク中立測度の一意性に関する論点は、リアルオプションにおいては、結果的にその重みをわずかながら減ずることになる。企業内部における投資機会や意思決定の柔軟性の評価においては、それらを市場で自由に取引することは想定されず、また市場における瞬時の価格調整による均衡状態を前提としないからである。このため本書では、オペレーションズ・リサーチの分野で使われる動的計画法に基づくモデルを多く取り入れる。本書で取り上げる動的計画法は、意思決定が状態変数には影響を与えず、ペイオフのみに影響するという意味で、典型的な動的計画法とは異なる。にもかかわらず、動的計画法が前提とする、合理的な主体の最大化問題という観点は、単に解法としてだけではなく、企業価値が生まれる源泉としての企業努力を定式化するという面からも、意味がある。


リアルオプションと経営学

企業経営の中でのリアルオプションを考える以上、経営に関する他の学問領域との関係は意識せざるを得ない。本書では、既存の経営学ないし競争戦略論の文脈の中に、リアルオプション理論を関連づけることを試みる。企業の経営戦略は、本質的に不確実性下の意思決定問題とみることができる。したがって、経営戦略論の中には、数式をあまり使わないモデルであっても、リアルオプション理論のエッセンスが含まれているもの、リアルオプション理論との親和性が高いものが少なくない。経営書で一般的な、たとえばコア・コンピタンス、コスト・リーダーシップなどといった諸概念や、よく知られたアウトソーシング、提携、M&A、ストック・オプションなどといった経営手法も、リアルオプション理論のフレームワークと整合的なかたちで位置付けることができる。

また、競争相手のいる市場での意思決定問題は、通常の金融オプションのように「自然を相手にしたゲーム」ではなく、「人を相手にしたゲーム」であるため、ゲーム理論に基づく分析がよくあてはまる場合が少なくない。本書では、リアルオプション理論にゲーム理論を組み合わせ、競争下の企業戦略の分析に応用した例を取り入れている。ゲーム理論を利用したモデルは、複数の主体が有するリアルオプションの相互関係の分析に適している。逆に、経営学分野へのゲーム理論の応用にあたっては、リアル・オプション分析を組み合わせることで、不確実性とペイオフの構造が明らかになり、説得力を増す場合が少なくない。このアプローチは、欧米ではTrigeorgis(1996, 1999)などが展開しているが、日本においてこれを取り入れたものはいまだ数少ない。

ゲーム理論を取り入れた分析に対しては、主にオプション評価モデルとしての数学的ないし経済学的な厳密性を求める立場から、批判が寄せられることがある。自らと競争相手の行動によって原資産の価値過程が変化するようなものをオプションとして考えられるのか、との視点である。この点でも、動的計画法アプローチの採用は、経済学モデルがもたらす「縛り」からの若干の自由度を確保する点で、好ましいものと考える。もちろん、金融市場における資産の収益率とリスクのトレードオフ関係など、経済学モデルと乖離するつもりはないが、リアルオプション理論は、突き詰めれば企業における実務的な意思決定に有益であることを目的とするものであることをここでは強調したい。厳密さが保証できないがゆえにリアルオプション理論の適用をあきらめ、従来の回収期間法や正味現在価値法に逆戻りするのは本末転倒である。その意味で本書は「ねずみを獲る猫がよい猫」と主張するものである。

このような、他の経営学分野との関係づけは、リアルオプション理論が単なるアナロジーとしてだけでなく、経営学的な分析の根幹と密接に結びつきうることを示す。リアルオプションを利用することで、経営理論に具体的な値をもった判断基準を取り入れることができ、より合理的で、説得力の高い判断を行うことができる。また逆に、企業の経営資源のどこにどのようなリアルオプションがあるかを考える際には、既存の経営学の分析フレームワークが有用なインプリケーションを与える。おそらく、リアルオプション理論は、それ単体で考えるよりも、経営学の他の分野と組み合せて企業のあり方を分析するアプローチのほうが、より大きな果実を得ることにつながるのではないだろうか。


対象読者

本書は、いわゆる企業経営者、実務者、および企業経営を学ぶ学生であって、金融経済学で用いられる数理モデルにあまり詳しくない者を読者として想定している。リアルオプション分析は、高度な数学を駆使する学者やコンサルタントたちだけのものではない。もちろん、分析に際して、高度な数学を利用した道具立てを用いる場合も珍しくはないし、本書の中にも数式は登場する。しかし、企業実務は一般に、高度な数理解析や膨大なデータの統計処理を必要とするほどよく整備された情報を提供してはくれない。実務家が日常扱うのは、月次、年次など間隔のあいた時系列データや、実務家自身のおおまかな予想値であるケースが多い。また、オプション価値が生じる源泉も、金融資産のように明確に定義された契約や有価証券ではなく、「新規事業をうまく管理する事実上の能力」や「競争相手に対し優位に立てるブランド力」といったきわめてあいまいなものが多い。

したがって、数理モデルによる厳密な分析もさることながら、それ以前の段階として、ビジネスの各局面における収益機会、リスク、および柔軟性を明確に把握し、オプションがどこにあるのか(またはないのか)を見極める、「オプション感覚」がぜひとも必要である。すなわち、リアルオプション理論を実務に応用するカギは、実は、企業内部において、企業人自身が、自らの行う事業活動の本質をどれだけ適切に把握しているかにかかっている。この感覚は、かなりの程度直感的なものであり、またビジネスを実際に遂行する立場にいて初めて感じ取ることができるものも少なくない。最も実務をよく知る者がオプション感覚を持ってこそ、企業の持つリアル・オプションをよく把握することができる。

また、企業においてリアルオプション分析を実際に行うには、その企業内に、オプション感覚に加えて、それを具体的な意思決定に結び付けるツールとしての数理モデルを、少なくとも考え方として理解できる人材が必要となる。人を「文系」と「理系」といった2つのタイプに分けたりすることがしばしば行われるが、本書では両者の中間に位置することを狙っている。文系、理系といった概念で自らの守備範囲を狭め、各々の領域に閉じこもることは、もはや時代遅れであるといわざるを得ない。もちろん、全ての経営者が詳細な数学的手法まで理解する必要はない。専門家はそのためにいるのであり、大いに利用すればよい。しかし、リアルオプション分析の結果を適切に利用するためには、経営者及び経営戦略担当者自身が、オプションとはどんなもので、その価値が何によって決まるかといった、モデルの基本的な考え方を理解しておく必要がある。

こうした動機から、本書においては、数式の利用を必要最小限かつ可能な限り平易なものにとどめ、取り上げた数式については、展開やその意味を細かく記すよう努めた。また、とりあげた数値例などは、実務へ応用しやすいよう、できる限り現実的なものとした。「文系」の読者は、数式の展開を飛ばして文章だけで読んでも、議論の本質をつかめるよう配慮したつもりである。議論がいかに数式として具現化されているかを合わせ読むことで、数理モデルの有用性を感じとってもらいたい。文章による説明よりも数式のほうが明確で理解しやすいという「理系」の読者は、数式によって、いわんとするポイントを把握することができると思う。しかし、数式は、現実世界での問題があってはじめて意味を持つものである。それぞれの記号は、単なる無味乾燥な確率変数やパラメータではなく、貴重な経営資源の量であったり企業人たちの汗と努力を示すものであったりすることを頭に止めておいてもらいたい。


リアルオプションと日本企業

本書では、企業における実例、とくに日本企業のふるまいで、リアルオプション理論に整合的なものと考えられる例をとりあげる。日本企業における意思決定は、依然として感覚的な判断の域を出ないものも多く、欧米では既に定着した正味現在価値法ですら「先進的」な手法とされていることが珍しくない。にもかかわらず、すぐれた日本企業において、リアルオプション理論と整合的な意思決定がなされた例を多く見ることができる。この点は欧米の研究者の少なからぬ者が指摘するところであり、キプロス大学のTrigeorgis教授は「リアルオプション理論は日本企業にこそ受け入れやすいはずだ」と主張している。

これらはおそらく、リアルオプション理論を意識的に取り込んで意思決定をしているというものではなく、彼らがもともと持ち合わせていた思考様式(文化的要素によるものもあろうし、企業の歴史の中で歴代の企業人たちが作り上げてきた企業文化によるものもあろう)をベースに、不確実性下での最適な意思決定を求めた結果得られた叡智が、いわば「天然の」オプション感覚となっている、とみるべきだろう。日本企業において、将来の可能性への戦略的な配慮は、しばしば「数字にあらわせない」心理的な要素として扱われ、定量的な分析を覆す要因となってきた。しかし最近、日本企業の中には、欧米風の「合理的」な考え方として、定量的な分析を重視する傾向が強まっている。本書は、この傾向を好ましくないものと考える。ここで、リアルオプション分析で行うような戦略的要素への配慮を欠いたまま、定量的な分析を偏重すれば、これまで日本企業の競争力の源泉となってきた、この天然のオプション感覚を失うこととなろう。リアルオプション理論は、優れた経営者の戦略的な意思決定プロセスを定量化し、共有しうる知的財産とするためのツールになるものである。日本企業のすぐれた行動様式を活かしつつ、より合理的な経営を根付かせるために、リアルオプションの理解は必須である。


リアルオプションがもたらすインプリケーション

また本書では、リアルオプション理論に関連して、この理論を前提とした政策の評価やその改善へ向けた提言を盛り込む。リアルオプションは企業や個人の最適化を求める最善の努力から生まれるものであり、政府がそれら企業・個人に対する政策を立てる際には、それへの配慮を欠くことはできない。現実の政府の行動様式は、経済原則をはずれるものが少なくなく、しかもその意図は周りに広く知られてしまっている。企業や個人は、Aを入れればBが出てくる、というように、行動パターンの決まったブラックボックスではない。したがって、そうした政府の行動はすぐさま裏をかかれ、しばしばその意図に反した結果を招くことになる。為政者が、企業や個人のリアルオプション、すなわち意思決定を待つ価値を理解することは、より有効な政策を立案するために有益であると思われる。このほか、政府においても、第三セクターなどを通じて、事業活動を行うことがある。これら公的企業体の経営においても、民間企業におけるのと同様、リアルオプション理論を理解することで、経営をよりよいものとすることができるものと考える。


各部の概要

本書は全体として4つのパートに分かれている。第I部は序論として、リアルオプションとは何か、理論の意義、簡単な例を用いた理論の概要の説明を行っている。
リアルオプションのさまざまな分類や、理論の発達の背景となった事情を解説するほか、応用分野として昨今急速に注目を浴びたIT産業分野におけるリアルオプション理論の利用と、ITバブル崩壊後生じた、リアルオプションを利用した企業評価に対する問題意識などについてもふれる。

第II部では、本書におけるモデルを構築し、それを用いたさまざまな分析を、例を用いながら解説する。分析にあたっては、可能な限り平易なモデルを利用し、さまざまな柔軟性を含んだリアルオプションを評価し、その性質について分析する。また、複数のリアルオプションの共存や、複数の主体によるリアルオプションの共有、異なる時点間のリアルオプションなどの相互依存関係についても分析するとともに、ゲーム理論と混合した分析も行う。

第III部では、第2部で展開されたモデルをもとに、企業における戦略的な意思決定を行うためのスキームを考える。既存の経営学の諸モデルの分析スキームを利用して、リアルオプション分析をその中に位置付ける。さらに、いくつかの業界について、これまでの分析ツールを統合して、リアルオプション理論とその他の経営学理論とを融合させた分析を行う。

第IV部はまとめとして、リアルオプションを企業経営に活かすために、企業において必要な要素を含意として示す。

巻末の参考文献は、本書で取り上げたトピックのより深い理解に役立つものと考える。


最後に

突き詰めれば、本書の目的は、読者に対し、リアルオプションに対する基礎的な理解と、リアルオプションを利用した企業経営分析の実用的なノウハウを提供し、さらなる学習のための橋渡しとなることにある。本書への投資が、読者諸氏にとってリアルオプション(願わくば、イン・ザ・マネーの)になるものと考えられる。